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大阪での地震は大丈夫でしたでしょうか。
被災された方の生活環境の復旧と、
これまでの安心した日々と平和が
できるだけ早く戻ってくるよう心からお祈りしています。
  
本当に地震はいつ来るかわかりませんよね。
僕はその地震が発生した時間帯は
体調不良で家で寝ていて、
スマホのニュース速報の通知で知りました。
  
続々入ってくる情報を見て
関西在住の知り合いの安否を心配していました。
  
最近は日本全国で地震が頻発していて
どこにいても安心できないという状態です。
  
僕も改めて日常の大切さと、
何かあったときの準備は大切だなと。
  
今回は大阪の地震をきっかけに、
以前から考えてきたことを改めて思い出したので、
それを書いています。
  
もしかしたら、
「大阪で被災した方がいるのに地震をネタに書くなよ!」
と思う方もいると思います。
そういう方は以下は読まないでください。
  
   
  
  
  
  
  
  
  
●地震から想起した「危機感」 
  
かといって別にそこまで過激なことを
書くというわけではありませんので。
  
実は2011年の東日本大震災をを思い出しました。
僕が住んでいる栃木は東北の太平洋側の地域のような
津波の被害はなかったのですが、
地震でのダメージが結構大きくて、
会社も1ヶ月ほど復旧工事のために自宅待機、
詳しい情報も入ってこなくて
今後どうなることかと不安な毎日を過ごしました。
  
  
その頃から、
万が一今の仕事がなくなったらどうなるだろう。
栃木の事業所が閉鎖され人員整理なんかになってしまったら
どうなるだろう。
  
仮にされたとして、僕はどうやって生きていくのか。
転職するとして、今の「自分」は何ができるのか。
人より優れた能力やスキルが有るのだろうか。
  
そう考えるようになりました。
僕はこの時何かに依存する「危機感」を痛烈に感じました。
  
結果として、1ヶ月後に仮の建屋で会社は再開されました。
しかし、
「万が一今の仕事がなくなったら」
という危機感はやみませんでした。
  
会社だけでなく「国」にも当てはまります。
我々の老後に年金をあてにして安心した生活は
もはや考えられません。
  
会社や国に「依存」した状態は
あまりにもリスクが高く、何か食べていける「術」を
身につけておかないと、
もし依存しているものが全く役に立たなくなった時、
身動きが取れなくなります。
  
  
そんな中、色々と模索していたところ
ちょうどウェディングの仕事の募集があって、
その頃から自分の趣味だった「写真」を軸に
自分のスキルの向上と可能性の拡大をしていこうと
していったのが今の僕の始まりです。
  
  
その結果、写真と映像のスキルが身につき
お客様に要望に満足いただけるレベルまでになってきました。
  
でも、まだまだ道半ばですし
課題は山積みです。
  
今思うと、僕の中ではあの東日本大震災が
いろんな意味で考えを変えるターニングポイント
だったと思います。
これがなければ、このまま普通にサラリーマンの軸だけだったかなと。
  
それまではビジネスと言うのもピンと来ていなかったし、
写真や映像はクオリティが高ければいいでしょって思っていたし、
色々と初心者レベルの知能しかなかったし、
その段階から試行錯誤しながら学んで生きました。
  
今思い返すと、本当に大変な時期もあったけど
やらなければ経験できなかったこともたくさんあったし、
出会えなかった人もたくさんいる、
繋がりからつながりを生み、
今の僕ができているのだと。
  
  
  
今回は地震をきっかけに今の僕の原点になる考え方の由来になった
部分を書かせていただきました。
  
今のタイミングで不適切だという人もいるかも知れないですが、
実際に感じたことを発信しようと思い、
長文を書いてしまいました。
  
  
  
最後まで読んできただきありがとうございました!
  
それではまた。